妄想大生とうわのそら。

毎日眠たいネコ好きの芸大生。実家の黒猫が恋しいです。色んな事に気が向いてはそれますが、こちらのブログでは日常で感じたどうでもいいけど幸せなことや疑問なことを書いていきたいです。

子供写真と死んだ彼女。

実家にあるパソコンのデスクトップは、父がどこからか引っ張り出してきた、自分と妹の幼少時の頃の写真が、いつごろからか背景に使われています。

そしてふと自分が実家に帰ってきたとき、その背景の写真はちょくちょく別の写真に入れ替わっているのです。

 

よく分からないアトラクションの、とぼけ顔な恐竜のハリボテの前でピースをしている2人。

年間パスポートを持って、昔毎週のように行っていたお気に入りのテーマパークの入り口で、マスコットキャラクターに引っ付いている2人。

 

そして前回の正月に地元へ帰った時のデスクトップは、二階の子供部屋のソファに2人で座って笑顔でピースしてるだけの、今まで見た写真の中では一番日常的な姉妹写真でした。

 

しかしそんなただの日常を写した写真に、自分はとてつもないショックを受けました。

 

その写真の中で笑ってピースしている自分の右手が、黒鉛筆で真っ黒になっていたからです。

 

きっと小学校でも使っている濃い鉛筆で、無意識の内に紙を右手で真っ黒に擦り付けながら、一生懸命大好きなピカチュウでも描いていたのでしょう。

どんなに手が真っ黒になっても、描くことがすごく楽しくてたまらなかったのに違いありません。

 

・・・じゃあ今は?

今自分は、この子ほど絵を楽しんで描けているのか?

中学、高校と成長していく中で、どこかで違和感を感じながら、それでも「自分は絵を描くのが好きなんだ」と自分に言い聞かせて、信じ込ませてきたんじゃないか?

いつからか“お絵かき”を知らず知らずに義務化してきたんじゃ?

自分は本当に今も“お絵かき”が好き?

 

愕然としました。

自分が「大人になっていっても彼女とはずっと離れまい」と必死に繋ぎ止めていたはずの彼女は、いつの間にかもういなくなっていたのです。

良かれと思って内気な自分を変えようと思った瞬間から、彼女は消えてしまっていたのです。

 

そして虚無感だけが残りました。

 

 

それでも、この虚無感と共に行くのか、新しい何かと共に生きるのかは、これからの自分にかかっているのだと思います。

新しい自分を見つけられたらそれでよし。

変われないなら死ぬだけです。

 

 

どっちがいいのか、まだよく分かりませんが・・・。

まあ、できれば自分は、死んだ彼女の分まで生きていきたいです。